野菜・居酒屋放浪記与論島編 その1

2011年9月11日 14:37

与論島の人たちに伝えたかった事

離島活力再生支援事業の一環で、与論島で講演をすることになった。島の人びとは農業・漁業・そして民宿などの観光業を兼任し、現在特に経済的に困っているわけではないが、やはり最近の経済状況から、観光業が少しずつ右肩下がりであり、それについて食と健康の分野から取り組みたいという事であった。たいていは問題が生じてから出ないと対策を講じないのが日本の通例。しかし与論島は違っていた。

今後、高齢化がすすむ日本において、国内旅行の需要は高まるであろう。その時にどうしても食の魅力(名物)をつくっておく必要がある。名物は海の幸やサトウキビ、島で取れる健康無農薬野菜である。素材が良いから特段工夫を凝らさなくても旅行者はたいてい満足できる。今回は既存の食文化、味噌とご飯に島野菜を乾燥させたメニューを自分たちの食生活でも取り入れつつ名物料理にし、かつ健康や癒しをコンセプトにおいた与論島観光の方向性を見出そうという試みであるらしい。島内の民宿や食生活改善グループ、農協、漁協の方々への講義となった。

前日、与論島入りした。野草・薬膳研究所を訪問したり(この様子は次々回ブログで)、漁協で水揚げされる魚、猟師さんたちの表情、産直に並ぶ野菜などを見学しながら、前日の夜に講演の準備をした。

私のメッセージは基本的にこれまでとかわりない。自分自身を健康に生きて社会で機能して、そして愛される自分を自ら見出していく、ということ。与論島の人びとは働き者だし生活もシンプルだ。お互い助け合うのも、喜びを共有するのもしごく当たりまえのこと、それは離島という性質上よく理解できる。だから今更、健康的な生活をしましょう、ということではなく、現代社会の病の源を解説することで、島での旅行者への「癒し」の可能性を解説していった。

おとなり沖縄は食の欧米化が日本で最初に始まった地域、長寿の県から、今や65歳未満の男性の死亡率N0.1にまで転落してしまった。与論島は自宅で食事をとるのが習慣だという。島には食産業が少ない。

いつも講演の前に質問する。「みなさんは幸せですか?」参加者のほとんどが手を上げた。私は驚いた。たいていは「幸せです」と答えるのは1割くらいだからだ。次の質問、「あなたは健康ですか?」この質問も挙手率が高かった。

日々の糧と生業、たいていは糧と生業は異なる。食べていくために自分を押しころしたり、いろいろな規則にがんじがらめになったりして、病になるひとがいかに多いか・・・。ここでの暮らしは糧と生業がほぼ一致している。そして見栄をはったり、飾ったりしない生活。

その辺の道端にも食べられる植物や果物、木の実が沢山ある。それを楽しむ風習は土に近い生き方である。

農作物があって、料理や食品加工があって、そしてそれを生活のなかで日々楽しむ、すなわちそれが食文化である。

野菜は種を購入して栽培すれば基本的に日本全国どこでも同じになる。与論島固有の野菜は与論島かぼちゃのみで、1件の農家さんが自家採種しているに過ぎない事を知った。必ず島全体で守っていくように、とお願いした。美味しいとか収量が少ない、という問題ではない。歴史、伝統は財産である。

講演の最後に
「自分たちで地域を磨いたり維持していく努力を怠ると、国の運命に翻ろうされる結果となります」
と結んだ。日本の中で自立できる地方自治体はどれだけあるだろう。少なくてもかつて勤務していた地域の財政事情は、診療所長という役回りから一部始終をかいま見ることが出来た。自立からはほど遠く、震災前だって国への依存は当たり前の権利と主張、震災後、復興が進まないのは、これまた政府のせい、と。沿道の草刈りも雇用促進の補助金だとか。そしてこのようなダイレクトな表現や指摘を大臣がすると、必ずマスコミが鬼首をとったように大声を上げる。

離島の歴史は厳しい。琉球と薩摩の板挟み、戦争、自然災害・・それでもこの島で生活する人びとの幸福感の高さ、そしてこれからも自分たちで道を切り開いていこうとする意識。

講演のあと何人もの方に声をかけていただいた。
「自分が幸せということに改めて気づきました」
「台風も何度も来て、畑のものもすっかりだめになることも何度かあったけれど、その辺にある食べられる植物を頂いて、一度だって死ぬ思いをせずに生きてくることができました。」

被災地へも届けたい。この「生きていくんだ」というこころの尊さ。


その夜、酒宴をもうけて頂いた。伝説の、与論島「献奉」。「親」が口上を語り、杯になみなみと注いた焼酎を「子」へ渡す。「子」は自分の思いを口上に託し、そして一気に飲み干す。これが延々と続く。うわさには聞いていたし覚悟はあった。「親」の愛情は注ぎ方に表れる。氷をいれたり水を加えたり。しかし、それでも・・・ここまでのみっぷりの良い女性はこれまでいなかったのだそうだ・・・。えっ?それなら私の周りの東北の女性の酒豪は・・・?この様子は次回ブログで。

そうして与論島の方々と思いのたけを語り合い、私自身もおおきな収穫を得て島を後にした。


空港で民宿を営む青年と記念撮影。

私は良くロシア人か?と思われることがあるが与論島青年も個性的だ。でも出会えた与論島の方々とハートの共鳴は日本人の感性そのものであったと思う。

今回の講演の最後の最後の結びは本邦初公開?「ハナミズキ」のさびの部分

君と好きな人が100年続きますよぉ~に・・・を歌い上げたのであった。

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