はやぶさ初乗車:車内で思い起こしたこと・・3か月前の大震災

2011年6月11日 11:57

今日は東日本大震災から3か月目の日です。今日は午前中仙台へ出張、帰りの新幹線は初乗車の「はやぶさ」。




この車内でずっと、震災で亡くなった同級生の事を思い出していました。



海岸沿いに住んでいた彼とは中学校から同級生で、きらりとした瞳と彫の深い端正な顔立ち、そして抜群の運動神経の彼は一見目立つ存在でしたが、その物腰、ムードはかなりソフトで威圧感の無い、地方ではめずらしいタイプの人でした。でも特に親しくなるわけでも、席が近くになるわけでもなく、そのまま卒業していきました。


彼との久しぶりの再会は、地元にある早稲田大学の合宿所(思惟の森)での学生と地元住民の交流会でした。たしか19歳か20歳、大学生のころだったと思います。わたしはオフクロと参加、思い起こせば本当に懐かしい出来事です。

とても星空がきれいな夏の夜。宴もたけなわ、私が近くにあった太鼓で、地元の盆踊りの音色を叩いた・・・とはいっても、それはたいそうな「ど素人演奏」。調子はずれの私のバチをそっと取り、彼は微笑みながらほぼ完璧な盆踊り太鼓を奏でてくれました。

早稲田大学の学生さんに言われました。「こんな素敵な場所で生まれ育って、宝物だよ!」。ちょっと都会志向になりかけた自分を叱ってくれたのです。今はどうしているのかな?たぶんちょっと年下の商学部の学生さん。そしてその晩は学生さんたちの騎馬のスクラムに我が母親、私は乗っけられて、満点の星空で宇宙を見つめていました。

彼との思い出は、その後、わたしが地元の診療所に勤務してからに繋がります。ただ彼との交流はなく、彼の可愛い子供たちに予防注射したり診察したり・・・、でもその子供たちに、彼の面影がしっかり感じられて、そのたび彼を思い出すのでした。

そして311日、彼は防波堤の水門を閉じる任務の最中に帰らぬ人となってしまいました。


2か月後、幼なじみと震災後初めてお酒を飲みました。幼なじみは彼と細く長く付き合いがあったようで、彼のダンディぶりを初めて聞かせてもらいました。よく人の話を聞いてくれて、お酒がすすんでも決して感情をとりみだすことなく、カラオケも川島英吾の曲をそれは素晴らしく歌い上げる・・・お店の女性スタッフは「もう例外なくメロメロ」になったのだそうです。

わたしはそんな彼の事は何ひとつ知らないままに、でもどうしてか、あの思惟の森でみた星空は一生の思い出として心に刻まれています。その思い出に彼が深く織り込まれることになったのは、あの三か月前の出来事なのです。

20年前に出版された記念誌を見つけました。かつて40年前に原発が誘致されようとしていた事実。あぁ確かにうっすらと記憶があります。その中に記載されていた事実

地元住民A:小さなことでも何かあったらもう漁などできないでしょうから、やはり反対です。
地元住民B:雇用が確保されれば出稼ぎに行かなくても良くなる。
当時の村長:安易な補助金で村民の心がダメになってしまう事が最も心配です。

これは時を経て、心にずしりと突き刺さります。その誘致予定地は津波で地上のものがすべて流されてしまいました。

そんなことが次から次へと沸き起こるハヤブサ、まだ仙台盛岡間1時間以上かかる乗車時間を過ごしたのです。

震災で失ったものは本当に大きすぎて・・・でも次の世代へ、残すべき日本を・・・努力するね。星空をありがとう。やすらかに眠ってください。

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