レヴェル7を受けて・・・ベジタブル・フォーキャスターの呟き
2011年4月13日 22:23
この野菜王の始まりのブログに記していました。美味しい野菜のある場所は美しい環境とそこで暮らす人々の健やかな営みがあると。
生きていくことに必要なものは限られていて、それに気づいていても、現実は多くのものを作り、多くを買い、多くを捨ててきました。それをうまく廻してお金を得た人が「勝者」で、「有能な人」でした。
しかし今となっては国際社会からみた日本はどうでしょうか?放射能の飛散の量は10分の1とは言われていても、チェルノブイリと「同レベル」とされれば、見方も変わって来て当然です。私たちがかつてチェルノブイリにいだいた気持ちを思い出しましょう。
しかし私たちは今日も明日からも食べて生きていかなければなりません。不安を拭い去るためには目標設定とそれに向かう勇気しかありません。
私たちは地球の、日本の一部であるということはまぎれもない事実です。この国で食べていくための最低限の事、それは食糧を確保していける仕組み、適正なエネルギー使用、きれいな水の供給・・・どうして当たり前のことができなかったのか?そこに利益を生じる仕組みがなかったからです。
しかしこれらが最も大切な事だと多くの方が気づいたはずです。
環境問題の対局に経済の流れがあって、その経済が大量消費で成り立っていたならば、環境問題は解決されるはずもありません。
予防医学も同様です。
社会保障費で生活されている方は自身の暮らしをもう一度確認してください。被災された方との違いを・・。
まやかしや一時的な慰めは本当の癒しにはつながりません。
かつての日本のくらし・・・食料生産と食品加工、自然環境で寡黙に進む醸造工程は地域で完結する日常生活の延長でした。ものが少ない暮らし、それは貧しい暮らしではありません。「よき貧しさ」は池澤夏樹さんの言葉です。
日本で、少なくても東北地方でこのような暮らしの営みを「やってのける」時が来れば、日本はまた世界のステージに尊敬を携えて立てるのです。
復興の目標到達点をだれかに提示してもらおうとすれば、また同じ大量消費の生活が待っています。目標到達点は「美味しくて安全な野菜の育つ地域」
「たわごと」と一笑されるかもしれません。
そうでしょうか?
これまでも人類は太古の昔からいつも命の傍らにプランツ(花・野菜)を植えていきてきたのです。そこには真の幸せな生活があったはず。
人を癒せるのは薬より音楽やお酒の方が有用な人が多いと考えていました。でも今回もっと大事なものに気づきました。
「愛」です。