おそらく「今日の珈琲の味とかおり、いつになく身体にしみる」と感じた事は幾度となくあったと思う。しかしその珈琲がどれだけの価値のものか、あまり真剣に考えていなかった。
どんなシーンにも珈琲は登場した。ときめいた時、逆に悲しい宣告の時・・・喜怒哀楽の感情のゆらぎに、カップの珈琲もどれ一つとして同じ味はなかったに違いない。
大学時代の過酷な試験勉強にはカフェインの覚醒作用に運命をゆだねたりしたことも懐かしい思い出・・。
ご縁あって焙煎の体験をさせていただくことに。
岩手県八幡平市、安比高原スキー場ペンション村のネルカフェ。
澄んだ空気、そして庭にはハーブやお花が咲き乱れる。ペンション Wing Light にある。
焙煎体験の前に、まず1杯の珈琲。「かおり」をふかく吸い込むと、篩骨洞や蝶形骨洞といった副鼻腔から脳底部へと到達していくような感じだ。素人表現だが「トゲトゲの雑味や酸っぱさが無い、むしろ甘さ」。
ふわっと軽くなる気持ち。人と人を繋ぐ珈琲は魔法を持っている。
さて重要なのは出来の悪い豆「欠点豆」を除くことだ。ともかく手作業となる。
ネルカフェの齋藤さん。珈琲の質問を受け答えしながら欠点豆を取り除く。この豆のひと粒に世界中の珈琲農園への思いが馳せる。いろいろな人の「手」を経て、ここへたどり着いた珈琲豆。
それを焙煎する。焦がすことではない。熱の力で珈琲成分を変化させる。だから気が抜けない。温度と時間、香り、色の変化・・・まさに五感が必要。
焙煎後の豆を轢いて
轢きたての珈琲のそれはそれは「かぐわしい」こと。アロマ。
轢きたてが一番だから素人さんたちは1杯ごとのパッケージが美味しい珈琲を再現できる。
1日1つのスペシャル珈琲を楽しみに1週間分を自己焙煎しに参加するのも素敵な生き方だ。
かつて訪問診療先、ご主人が亡くなられて、奥さまは毎日お線香ではなく、ご主人の大好きだった珈琲を毎日入れるのが日課と話されていた。かおりがたつ瞬間、ご主人と気持ちが一つになるようです、と。
巷にはチープなコーヒーが溢れている。でもどうだろう、私の飲んでいる珈琲はどれだけ自分へ寄与しているのだろうか・・。
珈琲へのプリージング
改めて考える。これから過ごすアンチエイジング時代、それは「もう一度自分を生きる」がテーマだ。珈琲に問いかける。
あの時は失敗したけど、今度はこう生きれるよね。
ちょっぴりほろにがい。
帰宅の車窓からは岩手山の夕日。黄昏なのです。
ラベル: 野菜王的処方せん